ビールとポップコーン

ネタバレ書かずに、観た映画(ときどき読んだ本など)を雑文多めに記録しています。

「だから山谷はやめられねぇ:「僕」が日雇い労働者だった180日」を読みました

だから山谷はやめられねえ―「僕」が日雇い労働者だった180日 (幻冬舎アウトロー文庫)

だから山谷はやめられねぇ:「僕」が日雇い労働者だった180日/塚田努(2005)

昨年読んだECD著「失点イン・ザ・パーク」に、岡林信康の「山谷ブルース」が引用されていて、以前から漠然と山谷に興味があったのもあり、読みやすそうな印象の本書を読んで見ました。

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「「僕」が日雇い労働者だった180日」というサブタイトルから分かる通り、本書の著者はガチなドヤ街の住人ではありません。父親は地方公務員、自身は大学院生という、ちゃんとした家庭に育ち割と順当な人生のレールに乗っている若者です。

就職活動に違和感を感じて逃げるように大学院に進んだものの、そのうち学校にも行かなくなり。ホームレスの炊き出しボランティアに参加して「僕が学びたいことは学校にない、このボランティアもなんか違う」と感じ、日雇い労働者社会に飛び込んで行ったときの体験記、という感じです。全体的にモラトリアムな青年の青臭さと浅はかさを感じましたが、これって恵まれた環境で育った青年の率直な感想だよなーというふうに、イヤな印象は受けませんでした。

 

実際にその社会で暮らしてみなければ分からない実情には「へー」と思いました。例えば、「ドヤ」の男たちと、現場ごとの短期契約で働く「飯場」の男たちには大きな意識の違いがあることや、職人と未熟練労働者の間には明らかなヒエラルキーが存在することなど。

 

飯場の住人にはホームレスやドヤ街の人間を見下している人が少なくない。日雇い労働者の多くは、ドヤ街にしろ飯場にしろ、家がなく、財産がなく、家庭を持たない人が多い。そこには目に見える境界が存在しない。そして明確な境界が存在しないからこそ、彼らは必死になって線を引こうとする。(略)

彼らは言う。まだ下がいる、俺たちはまともだぞ、と。

 

それから、日雇い労働者の失業保険のような「アブレ(アブレ手当)」というものの存在も初めて知りました。一日働くと印紙を手帳に貼ってもらえて、26枚貯まると13日分の手当が発生する。すると、仕事にアブレた日に限り、1日7,500円の手当(当時の金額?)がもらえるらしい。なんだかお店のポイントカードみたい。著者曰く、このアブレ手当やボランティアによる炊き出し、行政が支給するパン券やドヤ券などの存在が「山谷はやめられねぇ」の一因になっているのだろう、と。

細かい人間観察の描写は読んでいておもしろく、笑ったり哀しい気持ちになったりと心が動かされました。

 

なにしろ率直にすごいと思ったのは、著者が勇気を振り絞って日雇い労働者の社会に飛び込んで行ったことです。やれ青臭いだなんだと言いましたが、そこに暮らす人たちに興味があるからといって実際に潜入できるかといえば、わたしには絶対できない(もし自分が若い男性だったとしても)。

その結果、たとえ180日間でも日雇い労働者の社会とそこで生きる男たちの人生に触れ、著者の人生観に確信のようなものが生まれたことがわかります。

 

ドヤ街や飯場で出会った男たちは、みんなそれぞれの人生を持っていた。共通しているのは、みんな宿なし、金なし、家庭なし。自由気ままに生きるけど、振り返っても歩んだ道は消えている。(略)

彼らはなるべく働かずに、最低限の生活で、縛られることもなく自由に生きる人生を選んだ。決して幸せだと声を大にして言える人生ではないけれど、そんな生き方を否定することはできない。選択は個人の自由だ。(略)

僕は決してそんな人生を選ぼうとは思わないけれど、彼らの生活を見ていると、僕たちが走っている競争社会で生き残ることだけが人生の正解というわけではないと思えた。

 

この本が出版されたのは2005年、十数年経てば状況は様変わりしたとおもいます。本書でも「最近多い」と触れられていますが、今でも山谷などのドヤ街に暮らしているのは生活保護受給の元労動者が多いのかもしれません。

あとがきを読むと著者のその後が少しだけ書かれていますが、著者名でググってもこの本しか検索結果に出てきませんでした。著者はどんなおじさんになったのだろう?少し気になります。

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1月24日の晩に、闘病中だったECDさんが亡くなったとのこと。ご冥福をお祈りします。