ビールとポップコーン

ネタバレ書かずに、観た映画(ときどき読んだ本など)を雑文多めに記録しています。

「失点イン・ザ・パーク」を読みました

失点・イン・ザ・パーク

失点イン・ザ・パーク/ECD(2005)

植本一子さんの「かなわない」「家族最後の日」「降伏の記録」を読んで、彼女の夫であるECDさんの本も読んでみたくなりました。

今から10年以上前、当時の友人からこの本をすすめられました。たぶん発売してすぐだったと思うのですが、音楽好きの彼氏のすすめで友人が読んだところ、すごく良かった、と。たぶんその時、彼女は「<嗚咽>した」と言いたかったのだろうけれど、言葉を間違って使っていたのが妙に気になってしまい(何て言っていたのかもう思い出せないけれど)、それに私は涙もろくてすぐ泣くくせに「これ泣けるよ」みたいな宣伝文句が大嫌いなので、彼女にすすめられた時は全く惹かれませんでした。

「へえ」くらいの返事で流してそれ以降この本を手に取る機会はなかったのですが、「降伏の記録」の中に植本さんの文体はECDのそれを引き継いでいる、植本さんのエッセイの原点は「失点イン・ザ・パーク」である、という記述があったので、やはりこの本から読むしかない、と思ったのでした。

先週鈴木成一さんと食事会があり、その時に「お前は石田さんの文体を受け継いだ」と言われたという話を石田さんにすると「やっぱりわかる人にはわかるんだ」と驚いている。「じゃあ『失点〜』も鈴木さんに読んで欲しいなあ。だってあれが一子の原点でしょ」

(植本一子「降伏の記録」より抜粋 

 

で、読了後の率直な感想は「ECDのが断然すごい」でした。確かに「日記文学」「エッセイ」「私小説」と、細かく分けると違うものなのかもしれないけれど、 表現技術の差は歴然でした。石田さんには、かなわない、そう思いました。

この本は、ECDが植本一子さんと出会う前、アルコール依存症での入退院とその後の出来事について当時の恋人「マコ」や飼っていた猫のエピソードを交えて書かれた「失点イン・ザ・パーク」と、石田さんの幼少期について書かれた「中野区中野1-64-2」の2作から成っています。植本さんが書かれていた「石田さん」と、この本から見えてくる「石田さん」は、確かにひとりの人間として重なるところがありました。多くを語らないけれど一本筋が通っていて、どことなく厭世的。

ラッパーECDとしての心持ちのほか、アルコール依存症の療養やこれまでしてきたアルバイトについてのディテールは、私の知らない世界で興味深いものばかりでした。そして、誰でも見たことのある景色を違う視点で見ていたり、うまく言葉で説明できないような感情を自分の言葉で巧みに表現できるって、これほんと文才の成せる技だと思いました。

 僕は世の中の裏の裏まで知っているような人間ではない。ただ、街の表面を舌でなめるようなバイトばかりしてきた。岡林信康の「三谷ブルース」にこんな一節がある。

「人は山谷を悪く言う/だけど俺たちいなくなりゃ/ビルも道路もできやしねえ」

どこの街にもナメクジが這ったように僕の舌が舐めた跡が見える。

 

「死にたくはないだろ、死にたくはないだろ」

布団の中で天井を見つめながら、そう声に出して繰り返す。確かに「死にたい」 とは思っていないのだ。布団の中でこのまま目が覚めなければいい。死ぬことに対してすら他力本願なのだ。自殺する元気もない。自殺するには衝動が必要だ。失踪するにも衝動が必要だ。ところが今の自分にはこの暖かい布団をけとばす力もない。衝動などという強い力は、今の自分から最も遠くにあるものだ。