ビールとポップコーン

ネタバレ書かずに、観た映画(ときどき読んだ本など)を雑文多めに記録しています。

「ぼくとアールと彼女のさよなら」を観ました

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ぼくとアールと彼女のさよなら(2015)

誰でも大なり小なりの後悔をしながら生きていると思います。「あーもっと早く寝ればよかった」とか「夜中にカップラーメン食べなきゃよかった」など些細なことから、「もっと勉強しておけばよかった」「優しくしてあげればよかった」「会いに行けばよかった」…という、その後ずっと引きずるような、大きな後悔まで。

自分で気づかないうちに、あるいは自分に素直になれずに大きな後悔をしそうになったとき、親しい友だちだったり親だったり先生だったりに「きっと後悔するよ」って言ってもらえたら、そのときは小さな後悔やその他の犠牲のことなんか一切捨てて、迷わず行動しなくちゃいけない。

 

この映画の主人公である高校生のグレッグは、深く付き合って裏切られたり面倒に巻き込まれたりするのを避けて、学校でどこのグループにも属さずにいます。運動バカ国、不良国、ゴス国、オタク国…ジョークで挨拶を交わし表面だけの会話をしながら、あらゆる国をそつなく渡り歩くグレッグ。それでも、まるで紛争地域のようなカフェテリアだけは避けて、うるさいこと言わない風変わりなマッカーシー先生の個室でネット動画を見ながらランチタイムを過ごします。

ランチタイムはいつも、幼馴染だけど友だちではない“共同制作者”のアールも一緒。2人は小さい頃から変わり者であることを自認していて、社会学者でこれまた超変わり者のグレッグの父親の影響でたくさんの映画を観るようになり、少年時代から高校生になった今でも古典映画パロディの自主映画を撮り続けていました。

ある日、母親から「同級生のレイチェル、白血病なんですって。お見舞いに行ってあげなさいよ」と言われたグレッグは、文句を言いながらいやいやレイチェルの自宅に向かいます。「お母さんがうるさいんだよね、だから来たよ」というグレッグに、「あっそ」と素っ気なく返すレイチェル…。最初こそ気まずい空気だったものの、何度かお見舞いを繰り返すうちに、2人は次第に打ち解けていきます。

そんななか、グレッグとアールが自主映画を製作していることを知ったレイチェルは、彼らのくだらない映画をすっかり気に入ります。レイチェルは、40数本撮りためられた彼らの映画を観ることが、闘病生活のたのしみになりました。

 

白血病のレイチェル」の存在が、自己評価が低く必死で目立たないように過ごしてきた主人公の高校生活最後の数ヶ月に変化をもたらすことになるのですが、この映画は日本の特に若い世代が大好物とする「難病なんですお涙頂戴」とは全然違うし、かといって恋愛映画でもないので世界の中心で愛をさけんだりもしません。じゃあ深い絆で結ばれる友情物語なのかというと、それも違う。

原題「Me and Earl and the Dying Girl」が示す通り、死にゆく少女が登場するものの全編通してコメディタッチに描かれていて、その中に高校生が持つあらゆる事柄や周囲の人々に対しての微妙な距離感がうまーく表現されています。でもって、ラストは涙が溢れて止まらないのだけれど、それは「日本中が泣いた!」みたいな仕立てられた涙とは違う涙なのです。

 

黒人のアールと一緒に製作するギャグ満載のDIYムービーは「僕らのミライへ逆回転」みたいだし(元ネタにちょっとニヤリとしちゃうし)、登場人物のキャラクターもいいし、難病を題材にしているのにこんなにポップで高品質な映画なかなかないと思います。日本で劇場公開にしなかったの、もったいない!

 

 

グレッグとレイチェルのママの会話で「あら控えめなのね〜(So modest)」「ぼく、モデスト・マウスです」「なにそれ?」「あ、ただのバンド名です」っていうくっだらないやりとりがあったので。

 

 

ぼくとアールと彼女のさよなら(特別編) [DVD]