ビールとポップコーン

ネタバレ書かずに、観た映画(ときどき読んだ本など)を雑文多めに記録しています。

「家族最後の日」を読みました

家族最後の日

家族最後の日(2017)

「かなわない」に続き、「家族最後の日」を読みました。

鮮烈な真っ赤色と、それぞれ物憂げにどこかを見つめる幼い姉妹の表紙。「家族最後の日」というタイトルも相まって、いかにも不穏な印象を受けました。

内容は三部構成になっています。「母の場合」は広島に住む母との半ば一方的な絶縁について、「義弟の場合」は夫であるラッパーECDの年の離れた弟の壮絶な自死について、それぞれエッセーで書かれています。そして本書の7割くらいを占めているのが、癌で余命宣告される夫について日記形式で書かれた「夫の場合」。なるほど、著者が育った家族、夫の家族、そして著者が築いた家族の「最後の日」を意識させられた出来事が書かれているのです。

たかが1年くらいの間にこんなにも<家族>について考えさせられる出来事が重なるなんて。前作「かなわない」では、娘に対して暴言を吐いたり夫以外の人を好きになったり、著者の精神状態は不安定で<家族>という形を無性に嫌がっていたけれど、あれからしばらく経って子どもたちも手がかからなくなってきたからか、著者が自分自身を受け入れて、メンタル的に強くなったように思いました。それなのにまた違う形で<家族>の問題が起こるなんて皮肉な因果です。

 

義父が、亡くなった義弟の部屋をお祓いしようとしている事に怒りと嫌悪感をあらわにしていたのに、自分は占いを参考にして義弟の納骨を急がせたり。はたまた自分も夫もお金の不安を抱えながら医療費や税金の控除に余念がないのに、義父がお金の話を持ち出すと「金金金金、くだらない」と一蹴したり。こういう自己矛盾って誰でもあるもので、理屈じゃないからこそリアルな人間味があるのだと思います。

でも多くの人は自己矛盾をできるだけ表に出さないようにしているだろうし、思っていても口に出せないことが山ほどある。なぜ大っぴらにしないのかと言えば、その後の事を考えると面倒だったり、みんな自分がかわいいので攻撃されたくないからなんじゃないかしら。

著者の場合「え、そこまで言うか」という、もし私だったら文字にすることすらはばかられるような心の内をストレートに書いていたり、周りの人に対してよく思わなかった事もそのまま書いています。もし当事者が見たら傷つくだろう事は想定しているはずなので、それでも正直な気持ちを書いて作品として公にすることを優先するってスゴイな、と思ってしまいます。私には絶対できない。近しい人の本心なんか知らない方がいい。私が著者の知人だったら、少し怖い、と思ってしまうかもしれない。

 

Amazonのレヴューをチラと見てみたら、賛否の差が激しかったです。著者の事をまるで人非人のごとく書いている人もいたけれど、ときに私小説なんてこんなもんだろ、と思います。逆に、思考が理路整然として聖人君子のように感謝し感謝され生きている人間なんてどのくらいいるのだろう?「あのバカ、地獄へ落ちろ」と思った翌日「戦争反対!」と言ってみたり、食糧危機で餓死寸前の人たちの写真を見て心を痛めた晩に「もう食えない」と食事を残してみたり、人間なんてこんなに愚かで馬鹿馬鹿しい存在なのに。著者はそんな自分自身の事を、ただ正直に書いているだけなのに。

「生姜(センガン)」を読みました

生姜(センガン)

生姜 (センガン)(2016)

何かで目にして気になった本はタイトルと作者を「読みたい本リスト」にメモしているのですが、それがどんな内容の本なのかすぐに忘れてしまいます。なので私の「読みたい本リスト」は、ただの「タイトル/作者」の羅列でしかないのですが、韓国映画を観た流れで「作者が韓国人」という理由から読んでみた本書が、つい先日観た映画「殺されたミンジュ」に近からずも遠からずな内容でびっくりです。のっけからリアルな拷問描写が書かれていて「また拷問!」とのけ反りました。

 

美しさと完璧さにこだわる「拷問技術者(またの名を葬儀屋の次男)」の安(アン)は、数々の拷問を罪に問われ組織の指示で逃亡します。一方、安の娘ソニは、大学生として華やかな新生活に心躍らせていましたが、いざ入学してみると理想と現実のギャップになんだかなーと思っていました。ある日ソニが帰宅すると、家の前で待ち伏せていた見知らぬ男から「お前の親父はどこに潜伏した!」と恫喝されます。これをきっかけに、頼もしく優秀な警察官だと思っていた父親が、実は残忍な拷問技術者だったという事実をソニは知ることになります。

 

物語は章ごとに「父親の安」「娘のソニ」で主語が入れ替わる形の自分語りで書かれており、前半は安の逃亡生活とソニの大学生活が、後半は屋根裏に潜伏した安とその屋根の下で暮らすソニ+お母さんの生活が描かれています。

拷問技術者としての自信に溢れていた安がどんどん野獣(けだもの)のようになっていくのと同時に、尊敬していた父親の真の姿を目の当たりにし、また「犯罪者を隠匿している」という秘密が生活の上でも精神的にも大きな負担となってどんどん塞ぎ込んでゆくソニ。ソニは父親を心底軽蔑し憎みますが、安は自分の行いは全て組織のためであり「父」と崇める上司の朴のためだった、そして必ず朴が助けてくれるのだと信じて疑わないパターン。ああ、「殺されたミンジュ」に繋がる人間の哀しみがここに…。

 

すごく特徴的だったのが、かなり簡潔な文体で状況が歯切れよく書かれている箇所が多く、またグロテスクな表現が多かったことです。

体を起こす。両手で顔を撫で下ろす。唇が裂けて血が滲み出る。血の瘡蓋が剥がれ落ちる。乾いたタオルでざっと顔を拭く。喉からかっと痰を吐き出す。血と共に欠けた歯の欠片が混じっている。

こんな感じで一連の動きが端的に書かれていて、様子を鮮明にイメージできます。

苦痛はないはずだ。人間を恐れもせずに嘲笑った罪だ。自分の勇猛さと丈夫な心臓を過信した罪だ。クズとして生まれクズのごとく生きた罪だ。さあ、敬意を払え。恐怖とはこういうことだ。真の王とはこういうものだ。さあ、俺の目をしっかり見ろ。たかがカラスの分際で。このハエ野郎めが。

マスターオブ拷問は、カラス相手でも容赦しません。「たかがカラスの分際で。このハエ野郎めが。」というフレーズが妙に好きです。

全体的に「虫けら」「蛆」「膿」「ハエ野郎」「汚れた贓物(ぞうぶつ)」などの単語が何度も登場します。とにかく表現が強烈でした。

 

「生姜」というタイトルと可愛らしい表紙の本なので、ぽかぽかあったまるお話かと思ったら全然違いました。ただ、「生姜」というタイトルは「娘のソニ」に通じるものがあり、同時に著者の亡くなった祖父の思い出も込められているそうで、なかなかうまいタイトルだなーと思いました。