ビールとポップコーン

ネタバレ書かずに、観た映画(ときどき読んだ本など)を雑文多めに記録しています。

「幸せなひとりぼっち」を観ました

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幸せなひとりぼっち(2015)

意地悪で頑固なおじいさんが主人公のスウェーデン映画……ふーんという感じで観てみたのですが、シンプルにグッとくるなかなかいい作品でした。ベストセラーの映画化らしく、本国では大ヒットしたらしい。ベストセラーの映画化(しかも感動系)って成功例と失敗例の差が激しい気がしますが、本作はいい塩梅にできているのだとおもいます。

 

主人公のオーヴェじいさんは体格も良く威圧的、地域の若者やコミュニティの住人から厄介者扱いされ距離を置かれています。ルール遵守に厳しくイヤミや憎まれ口ばかり言っていて、野良猫にまで意地悪。

ある日、長年勤めてきた鉄道会社をリストラされたオーヴェ。孤独に耐えきれず亡き妻ソーニャに会いたい一心で、首吊り自殺を測るのです…が、ちょうどその時、彼の向かいの家に若い夫婦と2人の幼い娘一家が引っ越してきます。身重のパルヴァネ奥さんは朗らかで気のいい移民。オーヴェとパルヴァネ一家が交流するうちにオーヴェの過去が語られ、彼の心は少しずつやわらかくなっていくのです。

 

頑固なオーヴェじいさんと気さくで人懐こいパルヴァネ一家の交流の物語であるのと同時に、オーヴェと亡き妻ソーニャの純愛物語でもあります。オーヴェが自殺の間際に回想するのは、幼少期から青年になるまでの父との思い出、そして偶然出会って恋に落ちたソーニャと過ごした穏やかな日々…。断片的な回想から、なぜオーヴェがクソジジイになってしまったのかが痛いほど伝わって切ない。でもって若いソーニャがいかにも北欧のキュートな女性、という感じで、久しぶりにカーディガンズとか聴きたくなりました。

 

こういう映画を観ると「人生だよなぁ」としみじみおもってしまう。性善説を信じているわけではないけれど、やっぱり人は外的要因によってどんなキャラクターにもなりうるのだとおもうのです。「あいつほんと死ねばいいのに」という性悪クソ人間でも、きっと何かのきっかけや原因があってクソ人間になってしまったのだと。その人生に思いをはせると、あまりにも重すぎてたまらなくなります。人生って本当に重たい。どんな人間も、重たいものを背負ったり引きずったりしながら生きているんだよなぁ。

 

なんだか暗く?なってしまいましたが、この映画は全然暗くなくて、むしろ明るくて心があったまる系です。

 

 

幸せなひとりぼっち(字幕版)

「淵に立つ」を観ました

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淵に立つ(2016)

少し前に友人から勧められたタイミングで、ちょうどCSで放送予定があったので録画しておいたのですが、やっと観ました。友人が「超ショックな映画」と言っていたので覚悟していましたが、胸騒ぎのするシーンがいくつもあって「ヤダヤダ…コワイコワイ…」とボソボソ言いながら観終えました。

 

町工場を営む利雄(古舘寛治)のもとに八坂(浅野忠信)という男が訪ねてきます。2人は古い友人関係のようで、どうやら八坂は刑務所から出所したばかりで、さらに八坂が服役したことに利雄は恩を感じている様子。利雄は妻の章江(筒井真理子)に相談することなく、八坂を自身の工場で雇い入れ、さらに自宅の空き部屋にしばらくの間住まわせることを決めるのです。

同じ食卓を囲むことや入浴後の半裸姿の八坂に最初こそ戸惑っていた章江ですが、八坂の丁寧な言葉遣いや礼儀正しさ、さらにオルガンが弾ける八坂に娘がなついたこともあり、章江も八坂を受け入れるようになります。

 

とにかく全体的に不穏な、終始安心できない映画でした。なんせ浅野忠信が不気味すぎます。表情も話し方も、言葉の抑揚も、全部怖い。やっぱりすごい俳優なんだなー。

それから筒井真理子もすごかった。年月を経た見た目の変化は、肉じゅばんを巻いているのかな。完全にくたびれたおばさんになっていました。困ぱいして神経質になっていく様子も観ていてキリキリしたし、台詞が見えなかったです。

 

夫婦ってなんなんだろう?と思いました。利雄と章江は一見平穏な家庭生活を送っているようだけれど、夫婦間の喜怒哀楽が全然ないのです。これって平穏て言えるのかな。

しばしば夫婦は「空気のような存在」と例えられます。目に見えないほど当たり前に存在しているけれど、無くなったら生きていけない。夫婦が空気のような存在であるには、そこに絶対的な安心感や愛があってこそだと思うのです。「うちの夫?空気だねw」みたいにただ存在を無視するのも違うし、「金銭的にムリ」とか「家事育児なんかムリ」だから「居なくなったら生活できない」というのも違う。

利雄と章江が夫婦を続けているのは、娘という「かすがい」がいるからこそで、それ以外に関しては、ほんと惰性的に一緒にいるような感じがしました。夫婦でいる意味あるのかな、という薄っぺらで機械的な関係に見えるのです。

そんな夫婦の元にやって来るのが、八坂なのです。

 

最後まで観て思うのは、「八坂という人間は存在しなくても物語が成り立つ」ということです。夫婦間で全てを打ち明け共有しなくてもいいけれど、相手を裏切ってしまうような秘密は抱えるべきではないんだな。人道に反することはもってのほかだし、うしろめたいと感じることはしちゃいけない。

章江がプロテスタントであることと、象徴的な八坂のシャツの色に絡めて言えば、悪魔は天使のふりしてやってくる。それとも、天使と悪魔は表裏一体なのかな。

そして淵に立った時、悪魔が微笑んだらジ・エンドなのです。クワバラ、クワバラ…。

 

 

淵に立つ

浅野忠信がほんこわ!

「雑記」です

2016年1月1日、思い立ってブログを始めました。

映画を観たり本を読んだりしてもすぐに忘れてしまうので、それもなんだかもったいないなーと思い、観た順、読んだ順で感想を記録しようと思ったのがきっかけです。

飽きっぽいので、まさか2年以上続くなんて思ってもいませんでした。

記録すること、記録したものを後々読み返すこと、そしてどこかの誰かが私の書いたものを読んでくれる、リアクションしてくれることのたのしさがあったから、続いたのだと思います。

ここ最近、プライベートで大きな節目があり小忙しく過ごしていたので、ちょこちょこ映画を観たり本を読んだりしても、ブログに記録する、というところまでたどり着けずにいました。

ブログに記録するために、映画や本についてもう少し深く考えてみたり、どんな風に感想を書こうか、なんてことを考えているうちに、例によって内容を忘れてしまうためです。

どんなに「おもしろかったー!」と思っても、あっという間に忘れちゃうんです。

これじゃあ本末転倒だな、と思いました。

他の方のブログを読むと、みなさんすごく考察されていたり、細部まで感想を書かれていて、いつの間にか「わたしもちゃんと書かなくちゃ」なんて風に思ってしまったようです。

わたしはブロガーでもないし、そんなこと気にしなくていいのに。

なので、これからは「観た映画/読んだ本を順番に記録する」という初心にかえって、ブログを書いていこうと思います。

「すんごくおもしろかったです」みたいなクソのようなひとこと感想でもいいから、記録することに重きを置きたいと思います。

自分のための、チラ裏を束ねたようなブログです。

(「チラ裏」とかもう使わない言葉なのかな)

 

よろしくおねがいします。